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笑顔の向こうの惨劇
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青い瞳のレクイエム#06.2『ネオ・アドリアの抱擁』

ARIAの二次創作小説(続き物)です。
主人公はオリジナルキャラクターですので、その点をご留意くださいませ。

――*――――*――――*――――*――――*――――*――――*――

「えっと、はじめまして! この度のご相談を受けてお伺いしました、エクソシストの水谷原穏です」
「穏さんの手伝いをしています、トレニアです」

 灯里が連れてきた、エクソシストと名乗る二人の青年男女が丁寧に自己紹介する中、それを受けるアリシアはといえば、困惑したように口に手を当てて、黒スーツの客人達を思わずまじまじと覗き込んでいた。
 それというのも、彼女が抱いていた『エクソシストという職に就いた人』のイメージは、穏やトレニアの姿とは大きくかけ離れたものだったのである。彼女が想像に作っていたエクソシスト像は、もっと歳を取っていて――というよりも老齢で――ミサや結婚式で見る法衣に身を包んだ神父様だったものだから、葬儀で選ぶようなスーツを着ているのはまだしも、自分や灯里と年端も変わらないくらいの若い青年がエクソシストだなんて、にわかに信じられず、面食らってしまったのである。

 だが、しかし……

「ふふっ♪ 穏さんもトレニアさんも、そんなにかしこまらなくても~」
 と、ここ数日間はずっと沈んでいたはずの灯里は、こんなにも明るい笑顔を振りまいているではないか!
 そう、今の灯里の表情は、一週間か十日ほど前に不思議な出来事が起こったと聞かされて以来、アリシアがずっと探していた――作っていない――彼女本来の笑顔だった。
 灯里の笑顔は、見ているだけで楽しくさせてくれ、その持ち前の明るさは、一緒にいる自分も明るくしてくれる。朝から晩までの仕事の後、疲労感と共に会社に帰ってきても、灯里の笑顔が出迎えてくれるだけで、一日の疲れなど簡単に吹き飛んでしまう。灯里はアリシアにとって、まさに太陽のような存在だったのである。
 そんな灯里が、あの日以来、ふさぎ込んだようにぱたりと笑わなくなってしまったのだ。
 いつものお返しとばかりに、どんなに灯里を元気付けようと楽しく思える話をしても、その笑みはどこか引きつっていて、結局最後には、彼女はため息まじりの苦笑いで暗い表情に戻るのだった。
 それがどうだろう。灯里の友人達と一緒に部屋に泊まっても、警察という公の人達に相談しても戻ることのなかった笑顔なのに、自分の想像とはまったくかけ離れた彼らが来たとたん、すっかりもとの彼女に戻ったではないか! つい今朝方まで落ち込んでいた灯里が心から楽しそうに笑っている今の光景は、まるで魔法にでもかけられた感覚さえ感じさせる、そんな驚くべきことだったのである。
 雨を降らせた黒い雲、その雲の切れ間から顔を見せた白銀にきらめく太陽のように明るく、そしてどんなお祭りに参加したときよりも楽しそうに、あれほど怖がっていたはずのエクソシストと笑顔で言葉を交わしながら、灯里は彼らの下舟の準備をしていた。その笑顔は、『もとに戻った』どころではない。今までふさぎ込んでいた分のギャップを考えても、以前にもましてステキに見えた。
 そして、そんな灯里の笑顔を見ていれば、彼女の突然の変化に困惑していたアリシアも、だんだんと嬉しくなってくるのだ。その感情の変化は、仕事の疲れさえ吹き飛ばしてくれた以前の灯里のそれに思えて、胸の奥からどっとわき出してくる喜びを満面の笑みに変え、アリシアは、舟着場へ上がろうとしていたエクソシストの青年に、すっと、手を差し伸ばしたのだった。

「本当に…ご到着を心待ちにしておりました! 私がARIAカンパニーのアリシア・フローレンスです!」

 まるでネオ・アドリア海のさざなみの上で踊っているかのように、その声は嬉しさで弾んでいた。
 そして、高く澄んで聞き心地のよい彼女の声に耳をくすぐられて、エクソシストの青年はその声の主を見上げたのである。


(……っ!)


 アリシアを目の当たりにした穏は思わず息をのみ込んでいた。
 桟路から手を差し伸ばす彼女の姿は、奥の社屋からもれる明かりが逆光になって薄暗かった。しかし、柔和な笑みがたたえられた端麗な顔だちの彼女は、そんな薄暗さなど何の意味も成さないほどに美しい。
 白地に青の紋様が施された、灯里と同じARIAカンパニーの制服に身を包み、その生地には、背中で大きな三つ編みにされた絹のような艶を放つ金髪が流れている。そんな巻き毛の髪が絡む肩口からは、細く、しかし――オールの操作で自然と鍛えられるのだろう――女性の柔らかな肉感を保ちつつも、無駄のない、スラリと引き締まった美しい腕が伸び、そしてその先には、安全な乗降のために差し出された白磁のように白い手が、繊細な五本の指と共に、彼の手と重なるその瞬間を待っているのだった。


「……あの、穏さん?」


「え? あ……はいっ!」
 思わず依頼主にほうけていた穏が、少し困惑したようなアリシアの呼びかけに、はっと我に返った。
 彼もエクソシストなどという堅そうな肩書きを持っているとはいえ、若くて健全な青年男子だ。女性と新しく知り合えるなど嬉しくて当然のことだし、それが美人ならなおのこと、これにどうして胸がときめかないことがあるだろうか!
 そうは言っても、今のようにうっかり見とれて変に思われては最悪だ。だから、アリシアに訝しそうな顔をされていないか気になったのだろう。ちらりと上目遣いで彼女の表情を確認するが……
「すみません。私、何かお気に障るようなことを言ってしまいましたでしょうか……」
 アリシアは、そう言いながら申し訳なさそうに小首をかしげていて、穏はほっと胸をなで下ろしたようである。
「いえっ、えっと……こういう舟には慣れていなくて」
「まあ、そうでしたか、うふふ! ゴンドラは大きくありませんから、乗り降りのときは特に揺れやすいのです。ですから、お客様の乗り降りの際には、安全のため、私達がお手をお預かりさせていただいているんですよ」
 慣れていないなどとは、穏がごまかすためにその場しのぎで言ったことだ。けれども、アリシアは自分の不手際ではなかったとほっとしたようで、また満面の笑みに戻るのだった。

「さ、お手をどうぞ、穏さん」
 そう言って、再び差し出される彼女の右手に、
「……はい」
 穏は、少しだけ緊張した面持ちで、そっと、自分の右の手を重ねた。
 互いの親指が交差し、彼のてのひらに、ほんのり温かく柔らかい感触が伝わってくる。そんなずっと感じていたいほどに幸せな触れ合いに間もなく、アリシアの細くしなやかな指達が、まるで抱きしめるように…そっと…手の甲へまわされ、そして、二つが離れてしまわないように、ぎゅっと、けれども――気遣いを感じる強さの――力が込められた。穏も…そっと…彼女の手を引き寄せるように指をまわし、ぎゅっと、けれども――少しだけ遠慮がちに――力を込め返した。
「桟路までは足場が急ですので、お気をつけくださいね」
「はい」
 案内に従って、穏は手すりに左手をかける。そして、程よい強さで支えてくれるアリシアの手に自らの体重をかけ、急な傾斜の足場に片足をかけて、桟路に上がろうとゴンドラから身体を浮かせた、まさにその瞬間だった。


「穏さん……もしかして、アリシアさんに一目惚れー?」


 トレニアだ。
 降りる順番待ちをしつつ、悪戯っぽい笑みを浮かべながら二人のやり取りの一部始終を観賞していたトレニアが、ぎこちない動きでアリシアの手を握る穏をからかったのだ。
 そう、彼女はただただ、目の前の美人に戸惑う穏をからかっただけのつもりだった。
 しかし……

「あっ!」

 次の瞬間に見られたのは、力を込めていた反動か、弾けるように離れ宙を泳ぐ二つのてのひらだった。
 一瞬の事だ。
 穏とアリシアが握り合っていたはずの手は、なぜだか滑るように離れ、支えを失った穏の身体は傾斜の急な足場にバランスを崩して真後ろへと傾いた。左手で手すりを持ってはいたが、事が急過ぎたせいか、こちらも彼の身体を支えきれずに離れてしまった。彼もゴンドラにとっさに足をついたのだが、そのせいでゴンドラが大きく揺れ、彼を支えようと伸ばされつつあった灯里の手も、彼女自身を支えるために舟の縁へと進路変更される。そして「あっ」と口を開けたトレニアの見守る中、彼の身体はついた足を支点に澄んだ水のあふれるネオ・アドリア海へと大きく弧を描いて……


 ざぶーーーん!


 灯里もトレニアも、そして客人の安全のために手を預かり握っていたアリシアにも、この瞬間が何十秒の出来事にも感じられていた。しかし、実際はせいぜい三秒程度の事である。そんな、半ば止まっていた三人の時間は、黒いスーツの青年が海中に消えた水の飛まつを頬に浴び、再び動き出すのである。

「や、穏さん!!」

 血相を変えたアリシアが灯里のゴンドラに飛び乗り、大慌てで客人の落ちたネオ・アドリア海へと身を乗り出す。その時間、彼女がアドリアの飛沫を浴びておよそ三秒であった。





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