青い瞳のレクイエム#08.1『その 青が映すものは…(1)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。
主人公はオリジナルキャラクターですので、その点をご留意くださいませ。
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時間というものは、楽しければ楽しいほど、あっという間に流れていくものだ。
弾む会話に、終始笑顔で満たされていた夕食の時間も、気がつけばいつの間にかに後片付けである。
ARIAカンパニーのキッチンには、アリシアに灯里、そしてトレニアと、三人が楽しげに肩を並べ、他愛もない会話に花を咲かせながら、食器のカチャカチャという音を外にまで響かせていた。
そんな楽しげなキッチンを背に、外の桟路に腰を下ろして座る影が一つ。
穏である。
彼は、桟路から足を投げ出して手すりの柱にもたれかかり、心ここにあらずといった面持ちでそばの通りに視線を泳がせていた。
もちろん、彼も食後の後片付けを手伝おうとしたのだが、トレニアに「家庭のキッチンは女の聖地」と言われて追い出されてしまったのだ。
彼女が今まで、たとえば孤児院のキッチンのことを『女の聖地だ』などと言ったことはただの一度もなかったものだから、当然、納得のいかない彼は反論を試みた。しかし、アリシアや灯里にまでにこやかに『任せてください♪』と声を合わせられたものだから、寝床を追われた野良猫のように、一人、すごすごと街でも眺めに出てきたというわけである。
二階のドアから外に出て、桟路を歩いてまわり、ついさっき海へと落ちた舟着場へと続く階段を下りて、今度は下の桟路をぐるりと一周する。上でも下でも、特に何もなかった。あえて何かあったといえば、通りにかかる桟橋の辺りで、通りすがりの通行人に「こんばんは、今日もいい夜だね」と、アルコールを感じさせるご機嫌な声をかけられたぐらいである。ARIAカンパニーから通りへと続く細い桟橋には、本日の営業終了を示すように椅子が置かれ、その椅子には、アリシアか灯里が縫ったのだろう、アリア社長らしきぬいぐるみが“CHIUSO(閉店)”の看板を持ってちょこんと座っている。口元で微笑んだ穏は、看板を抱える社長を人指し指で軽く小突くと、静かなさざ波の音を味わいながら、桟路を回って階段を上がり、そして今の場所へと落ち着いたのだった。
ARIAカンパニーは、彼が見る限り、いたって平和であった。
それにしても、ネオ・ヴェネツィアの夜はまだ冷える。その冷えも真冬ほどではないのだが、昼に出かけて夜遅くに戻るという日には、昼間には必要のないような上着でも小脇に抱えて出た方が後々後悔しないで済む、体調管理の難しい季節のようだった。おまけに、穏はすでに入浴を済ませている。だから、寝間着姿の今のまま外に出続けて湯冷めでもすれば、それそこ風邪をひきかねないのだが……。しかし彼は、時折、両手で身体を抱きしめるようにしてさすりながらも、眼下で賑わう通りを静かに見やっているのである。
ARIAカンパニーのそばを通るこのネオ・スキアヴォーニ河岸通りは、夜になってもまだまだ出歩く人の足が絶えない。
これから気の知れた仲間と一杯やるのだろうか。迷いのない足取りでいそいそとバーに入っていく初老の男性。夜の闇をあまいムードに変えてデートだろうか。腕を組んでささやき合い、共に歩くカップル。家で喧嘩でもしたのか、それとも何かうまくいかないことでもあったのだろうか。街灯の下でなにやら独り物思いにふける少女。
通りに軒を連ねるレストランやカフェもまだまだ閉店時間には遠いようで、様相様々な通行人達の足を我が店の前で止めんと、競うように明かりをこうこうとさせている。
そんな賑やかな通りを、穏は物思いにふけるような目で静かに見つめているのだった。
そんな夜風に冷える彼の肩に、温かく、ふわりと柔らかい重みが伝わってきて、穏ははっとなって振り返った。
「お待たせしました」
アリシアだ。
三人の声が聞こえていたはずの後ろの窓はいつの間にか暗くなっており、もれ聞こえる灯里とトレニアの声も、少しだけ開いた屋根の丸窓へと場所を移していた。
「まだ夜は冷えますね……物も色柄も女ものですが、よかったら使ってください」
驚いたように彼女を見上げていた穏が、そんな言葉に釣られるようにして自分の肩へと目を落とせば、
「……あぁ、温かいと思ったら、マフラーですか」
「うふふっ、マフラーにも似てますけど、ストール(肩掛け)のつもりなんです。私が冬用に毛糸で編んだものなので、さすがにちょっと時期はずれですが」
そう言ってアリシアはにこりと微笑むと、座る彼に寄り添うように立って、手すりにもたれかかりながら眺める先を同じくするのだった。
「まだ、夏にはほんの少しだけ早いみたい。アクア・アルタを過ぎれば、夜も今より過ごしやすい暖かさになるんですけど」
「……あくああるた?」
聞き慣れない言葉が飛び出して、穏が半ば振り向いて首をかしげた。
「ええ。ネオ・ヴェネツィアでは、春と夏の間に、海の水位がいつもより上がって街が水浸しになる時期があるんです。その自然現象をアクア・アルタと呼んでいるんですよ」
さすがは観光案内のプロといったところか。簡単かつ端的で、知識のない者にも分かりやすい的確な説明である。
「それじゃあ、もしかしてそこの通りも水の中に?」
「ええ、人が歩けないほどではないけれど。ARIAカンパニーの建物なら、一階に膝くらいまで水が来るんですよ」
「へぇ~…後片付けは大変そうだけど、なんだかおもしろそうですね!」
そう言って目を輝かせる穏に、アリシアはおかしそうにくすりと笑みをもらした。
そんな彼女を見て、穏がまた首をかしげる。
「うふふっ、ごめんなさい。なんだか、穏さんは灯里ちゃんと似ている気がして」
「ええぇぇぇ! 俺と灯里さんがですかぁ!?」
そんなことなど、穏だけでなく灯里でさえ思っていないに違いない。
「どこら辺が似てると思うんですか? 俺と灯里さん……」
「うふふ♪ なんとなくだけど、今みたいにアクア・アルタを楽しんじゃおうってところなんか、灯里ちゃんとそっくりかも!」
そんなことを言われて反論するかと思いきや、当の穏も、彼女の言うことになんとなく思い当たるふしがあったらしい。難しそうに顔をしかめて「あぁー…」と頬を掻き始めた。
「確かに……灯里さんは長靴でもはいて街中を闊歩してそうだなぁ……鼻歌でも歌いながら」
穏の想像が見事に的を射ていたのか、にこやかなアリシアは何やら思い返すように大きくうなづいた。そして、手すりから身を乗り出すようにして彼を覗き込んで、
「穏さんは、どう?」
彼の回答を待つアリシアの目は興味津々に輝いている。そんな追求のアリシアに、穏は恥ずかしげな笑みで視線を泳がせつつも、間近に迫った遠足に胸を躍らせる子供のように、楽しげに語り始めた。
「俺なら……ちょっと泳いでみたいです。いつもは道のところを泳ぐなんて、そうそうできることじゃないから、すごくおもしろそうで……。浮き輪でも使って、アリシアさんか灯里さんにゴンドラで引っ張ってもらうとすごく気持ちいいかも!」
「あらあら、うふふ♪」
彼の願望を聞いたアリシアは、口に手を当てておかしそうに笑う。そして、
「じゃあ、私がゴンドラで浮き輪を引っ張って、穏さんにネオ・ヴェネツィア中を案内しようかしら!」
人指し指をピンと立て、いいことを思いついたとばかりに楽しげに提案だ。
「いいんですか、アリシアさん!」
「ええ、もちろん♪ アリシア・フローレンスが心を込めてご案内するわ」
そして彼の脳内では……水着姿で浮き輪に乗っかった自分が、アリシアのゴンドラに引かれて、たくさんの観光客が行き来するネオ・ヴェネツィアの街中を……。
「ちょっ、やっぱり恥ずかしすぎるので勘弁してください!」
さすがに、水着姿で街中を引き回されればどれほどの人目に晒されるかということぐらいは気がついたようである。
大慌てで予約キャンセルを申し込む穏に、
「あらあら、うふふ♪ 冗談よ、穏さん」
と、アリシアも悪ノリだったと言わんばかりに笑ってみせるのだが……。
(……ウソだ……この人は絶対やる気満々だった!)
冗談と笑いながらもどこか残念そうなアリシアに、彼女が本気になる前に早めにキャンセルしておいてよかったと、ホッと安堵のため息をもらす穏であった。
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