青い瞳のレクイエム#08.3『その 青が映すものは…(3)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。
主人公はオリジナルキャラクターですので、その点をご留意くださいませ。
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「俺の目のように左右の色が違う目のことを、医学の分野では『虹彩異色症』っていうらしいです」
膝に肘を突いた穏が、再び通りに目をやって話を続け始めた。
「ええ、聞いたことがあるわ。アリア社長は違うけれど、猫にもオッドアイという左右の目の色が違う種類がいるわよね。金目銀目ともいうんだったかしら」
人指し指を頬に当てたアリシアの視線の先で、穏の後頭部が小さく上下する。
「そうですね。あぁ、知ってます?」
そこまで言うと、穏はなにやら小さく笑ってからだを起こした。アリシアはそんな彼に答えを催促するように首をかしげてみせる。
「金目銀目の金と銀って、金は金色、でも銀は銀色じゃなくて青い目のことをいうんですよ」
そう言った彼の左目が、タイミングよくきらりと輝いてみえて、アリシアは何かを思いついたように「あっ」と眉を上げた。そんな彼女に、穏も得意げな笑みをこぼす。
「俺は黒に青だから、猫的にいうと、さしずめ『黒目銀目』とでもいうのかな」
「うふふ♪ そうかも」
まるで自分の目をアピールするかのように見上げてくる穏に、アリシアも彼の黒目銀目を見つめ、にこりと楽しげな笑みをもらしていた。
そんな楽しげな雰囲気の中、穏がふと、通りに向けて「ふぅ」とため息をもらした。
「こんな目と付き合い始めて、もう何年になるんだろう……」
「えっ?」
アリシアは、てっきり彼の青い左目は生まれつきのものとばかり思っていたのだが……。しかし、彼の口ぶりからすると、そうというわけでもなさそうである。
「あなたの目って、昔は左右とも同じ色だったの?」
そう問われて、肘を膝に通りを見やる穏の後頭部が小さく上下する。
「……ええ。小さいころは両目とも、今の右目のように黒かったんです」
「それじゃあ……なにかきっかけがあって今のように……?」
アリシアがそう尋ねると、穏は通りを見つめたままに小さく笑ったようだった。彼の右手は顔の方に伸びているから、きっと苦笑いで頬を掻いているのだろう。そして、アリシアの予想に合う彼の返事である。
「ごめんなさい……。いまだに、キラキラとしたいい思い出にならないことです。俺の方から話し出しておいて本当にすみませんけど……」
そう話をさえぎった彼の口調は、どこかつらさがにじんでいて、アリシアも思わず「ごめんね」と謝罪の言葉をもらしたのだった。
会話が途切れてしばらくの間、さざ波の音と通行人のざわめき、上から聞こえる話し声だけが二人を包み込んでいた。
その間中、通りを眺める穏の背中を見つめてなにかを思案していた様子のアリシアは、一つうなづくと、彼のとなりへと静かに腰を下ろした。
彼と一緒になるようにネオ・アドリア海へと足を投げ出す。そして、そんな彼女に驚いてからだを起こした彼の、脚の上で落ち着かなそうにしている手に、そっと、自らの手を伸ばしたのである。
穏は、予想もしていなかった手の甲に伝わる温かい感触に目を丸くして、口にいたってはポカンと半開きで、呆然と、自分の手と重なるアリシアに目を奪われていた。
「ねぇ、穏さん」
「は、はいっ」
綿毛のようにふわりと耳をくすぐる優しい声に呼びかけられて、穏は、高鳴る鼓動を抑えながら、やっとの思いでのどから返事を押し出した。
「私ね、アリア社長のお陰で、猫のことはちょっとだけだけど勉強しているのよ」
そうきり出したアリシアは、まるでおびえる犬猫をなだめるように、彼の手を優しくさすり、重なり合うそんな二つの手に柔和なまなざしを送っている。
「ネオ・ヴェネツィアには猫も多いから、勉強する前までは、街で見かけるオッドアイの猫達を『きれいな目をした猫』くらいにしか感じていなかったと思うの」
でもね……。アリシアはそう続けて、静かに顔を上げ、穏の瞳にそっと視線を合わせたのだった。
ウンディーネを知る者、志す者が猫に興味を抱くことは、特に珍しいことではなかった。観光案内を一身に担うウンディーネは、まさにネオ・ヴェネツィアの看板業であり、幾何学的な紋様の施された独特の白い制服をまといゴンドラに立つ彼女達は、男性だけでなく女性に対しても『アイドル』としての地位を築き上げた、ネオ・ヴェネツィアでも指折りの人気職なのだ。そんな人気を集める憧れの仕事だからこそ、雑誌などで取り上げられる情報は直接ウンディーネと関係のない細かな部分にまでわたっており、たとえば――水先案内店の社長は猫であるとか――そんな水先案内業界の伝統的な習わしの部分まで、熱心なウンディーネのファンに向けてしっかりと発信されているのである。
アリシアは、そんな風にウンディーネに憧れてこの業界に飛び込んだというわけではなかったのだが、今では、業界でも指折りの立派なウンディーネに成長していた。そして、そんな彼女が勤める水先案内店は、猫のアリアが社長を務めるこのARIAカンパニーである。ARIAカンパニーは、創業時から『小規模主義』を貫いており、アリシアがプリマ・ウンディーネになってからは、上でトレニアと談笑中の灯里が入社するまで、内勤に外勤にと、彼女たった一人で運営していた時期もあったのだが、そんな彼女一人による店舗運営の中も、彼女といつも共にあり、彼女をいつも支えていたのが、なにを隠そうアリア社長なのである。
そのアリア社長は、ネオ・ヴェネツィアの猫達の中でもとりわけ人気を集める水先案内店の社長達において、特に評判の高い人気社長だ。それはもちろん、社長持ち前の可愛らしいコロコロとした体型や人懐っこい性格も一因なのだが、なにより、アリシアが一人だったころの彼女とアリア社長は、まるで見習いウンディーネがそう呼ばれるように、二人ペアで客をもてなしていたということがとても大きい。今でこそ、アリア社長は灯里と舟を共にすることが多くなったのだが、多数のプリマを抱える他店と比べれば、プリマはアリシア一人というARIAカンパニーの事情は、彼女のゴンドラを利用する客にとっては、間近でアリア社長と触れ合える機会が増えることにもつながったわけで、アリア社長と舟を共にできた客、つまりはアリシアのゴンドラを利用した客のほとんどがそのままアリア社長のファンになったといえるほど、アリア社長は水先案内店の『人気社長の座』をほしいままにしていたのである。
そのようにしてアリア社長のファンが増えれば、ゴンドラ上での客との会話でも、自然と猫の話題が増えてくる。ネオ・ヴェネツィアはもとから猫の多い街であるので、猫についての質問は他店のウンディーネにもぶつけられはするのだが、それでも、アリシアの比ではないに違いない。だからこそ、アリシアは――お客様の質問にもっとしっかりとお答えできたら――その思い一心に、観光案内とは直接関係してこない猫のことについても知識を深めようと努力したのだった。もちろん、学校に通ったわけでもないので、あくまで素人の雑学の域を出ない。けれども――自分にやれることならできる限りのことを――そんな彼女の心がけが、『三大妖精』などという、彼女にとってはおこがましく感じられてしまうほどの名誉ある扱いを受けるにまで成長したアリシア・フローレンスを作っていると言っても過言ではない。
そして、そんな勉強熱心なアリシアが、なにやら意味深長に穏の瞳を見つめている。手を優しく握り、柔和な瞳で彼を見つめる彼女は、まさに――悩みを抱える弟の相談に乗ろうとする姉――そんな雰囲気を醸し出していた。
彼女は、かつてアリア社長と並んで読んだ本の中に、彼の『つらい過去』に思い当たるふしを持たせる内容が書かれていたのを思い出していたのである。それは……。
穏を見つめるサファイアのような二つの青が、二度、まばたきで隠れると、アリシアがその艶やかな唇を静かに開いた。
「でもね、そんな素敵な目をした猫達の中には、その魅力と引き換えに……」
一瞬、言葉に詰まったアリシアだが、すぐに続ける。
「その左右で色違いのきれいな瞳と引き換えに、生まれながらにして大きな困難を背負った猫もいるってことを知ったの」
彼女のまぶたが、今一度またたいた。
「それからの私には、そんな猫達の目の輝きは、まるでその困難との引き換えに神様から与えられた『奇跡』にも感じられるようになってしまった」
アリシアの言葉に穏の手がピクリと動く。それはほんの少しの震えだったが、彼女はそんな彼の反応をしっかりと感じとっていた。彼の手を甲から握っていた彼女の手は、今度は彼の手の下に滑り込んで掌と向かい合い、指を絡めるようにしてしっかりと握り締める。
「そんな神秘的な魅力を放つ猫達の目は、ほとんどが先天的なものだそうよ」
「……ええ」
「私が読んだ、オッドアイの猫について書かれた本には、人間のオッドアイについても書かれていたの。だから、人間にも左右の目の色が違う人がいることは知っていたわ」
「……はい」
「それが後天的なものであるときは、虹彩の変色になにかしらの原因があるということも」
「……」
「そしてさっき、穏さんは『もう何年この目と付き合ってるのか』って言っていた」
「……」
「穏さんの目が生まれつきのものじゃないのなら……」
「後天的な原因、ありますよ」
彼女が言わんとすることを察したように、穏が言葉をきり出した。
「あまり思い出したくないことなのは私にも想像つくわ。……でも、話してみない? 話せば少しずつでも気分が変わっていくかもしれないし……。私なんかでも、それくらいのお手伝いなら力になれるかもしれないから」
そう言って、アリシアは、虹彩異色のその瞳の、さらにその奥を見るように、真剣なまなざしで彼を見つめるのである。
しばらくの間、なにかしら考えるようにしてアリシアを見つめ返していた穏は、目をつむってゆっくりと小さくうなづき、そしてまぶたを上げながら通りへと顔を向ける。
「そう、ですね……」
そして、なにやらおかしそうに笑い出した。
「あはは、おっかしいなぁ……。俺の方が相談に乗りにきたはすだったのに」
「そんなこと、気にしなくていいじゃない。穏さんとトレニアちゃんは、今でも十分すぎるくらいに灯里ちゃんを元気づけてくれているわ。私は、そんな二人のためなら、できる限りのことをしたい。穏さんに悩みごとがあるのなら、それを少しでも和らげて上げられたらって、そう思うだけなの」
私でお役に立てるなら、だけど……。そうつけ加えたアリシアは、少し困った風でもあるが、穏ににこりと微笑んでみせた。
そんな彼女に、穏がはにかむように人指し指で頬を掻きながら振り返る。
「……それじゃあ、アリシアさんに聞いてもらっちゃおうかな」
「ええ!」
自分を頼ろうとしてくれるそんな彼の言葉が嬉しかったに違いない。アリシアからは、こぼれんばかりの笑みがあふれ出したのだった。
ただ自分のよもやま話を聞けるというだけで喜ぶアリシアに目じりを下げていた穏は、おもむろに、街灯でも見やるようにちらりと通りに目をやった。それから、小さなため息まじりに小さく唇を動かした。
「(話そうと思っていたことにも、ちょうどいいタイミングなのかな)」
「えっ?」
笑っていたアリシアには、彼の小さなつぶやきは聞き取れなかったらしい。「んっ?」と覗き込んで聞き返すアリシアに、穏はもったいぶるようににこりと微笑んで返したのだった。
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