青い瞳のレクイエム#08.5『その 青が映すものは…(5)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。
主人公はオリジナルキャラクターですので、その点をご留意くださいませ。
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意味深長な言葉の続きを静かに待つアリシアに、一呼吸の間をおいた穏がふたたび話し始める。
「まだまだガキだった俺は、一緒に連れていって――そんな目で見つめられたお陰で、すごく大事なことをすっかり忘れていたんですよ」
「大事なこと?」
小首をかしげるアリシアに、穏は、彼女の温もりを受ける右手のとなりで寂しそうにたたずんでいた左手を、苦笑いの頬へと伸ばした。
「ええ、捨てられていた子猫に情が移ったのはいいのですが……」
アリシアが彼の顔を覗き込む。
「うちのお袋、大の猫嫌いなんですよね……。なのに、連れ帰って怒鳴られるまで、そのことをこれっぽっちも思い出せなかったんです」
「あらあら……。それじゃあ、お母様に飼うご了解をいただくのは難しかったんじゃないかしら……」
「……ええ」
穏は、ため息まじりに苦笑いをもらした。
「そりゃあもう、すごい剣幕でつばを飛ばされて……。その迫力ときたら、普段はそう声を荒げないお袋だものだから、思わず泣きそうになりましたよ」
「そう……」
アリシアからもれた残念そうなため息も、さざ波にゆれるアドリアの水面(みなも)へと吸い込まれていった。
「……それで、子猫はどうすることになったの?」
「捨てられていたところに戻してこい、と……。それまで帰ってくるなってしめ出されちゃいましたが、俺だって少しは玄関の前で粘ったんですよ?」
そう言って穏は笑うが、その表情はどこか力ない。
「ま、結局は俺が折れて戻しに行くことになったわけですが……。親父の帰りを待ったらなんとかならないか、なんて思ったりもしたんですけど……。温厚なお袋がすごい剣幕を見せたものだから、それに圧倒されていたんだと思います」
思わず「ははっ」と乾いた笑みをもらした穏に、アリシアは、握ったその手に慰めの気持ちをそっと込めたのだった。
「もう日も落ちようかという時間になっていました。もとの空き家へと歩く俺の腕の中では、おなかでもすいたのか、それとも、もとの箱に戻されることに感づいたのか、子猫が服につめを立てて大きな声で鳴いていました」
いっそう低く沈んだ語り調子の穏の声に、アリシアは、いたたまれない面持ちでその目を伏せた。
「いつも以上にだいぶ時間をかけて歩いたつもりだったんですが、それでもだいぶ早くもとの空き家に着いた気がしてしまって、目の前の建物を見上げてどうしようかと途方に暮れたのを覚えています。……で、そんなときもたいてい時間はあっという間なんですよね……。箱のあったベランダに座って猫をあやしていた俺の周りは、いつの間にか暗くなっていて。今までなんとも思っていなかった空き家も急に怖くなって……。俺は、抱いていた子猫を半ば無理やり箱の中に押し込むと、空き家を早足に離れたんです。でも……」
二人の頬を、一陣の風がなでて去っていく――
「鳴き声にまじって……ばたんッ! と音がして、遠くになっていた子猫の声が近づいてきたんですよ」
「あぁ……穏さんを追いかけてきたのね!」
アリシアの表情は「がんばって!」と子猫を応援せんばかりで、穏は口もとに少しだけ笑みをにじませた。
「ええ、子猫も必死だったんだと思います。でも、そのときの俺には、鬼の形相をしたお袋に怒られる自分しか考えられなくて……。助けてあげたいなんて思っていた最初の気持ちはどこへやら、追いかけてくる猫を振り切るように走りだしていました」
「それは……穏さんだって小さかったんだから、仕方ないと思うわ……」
そう言って首を横に振るアリシアに、穏は目を細めて「ありがとう」とつぶやいた。
「それでも、子猫は――ずっと、ずっと――追いかけてきたんです。俺の足の方が速いから、すぐに小さくなって消えかける鳴き声も、少しでも足をとめればすぐに大きくなって、俺はなんどもなんども振り切ろうと走って……」
ふと、穏の視線が星のきらめく空へと泳いだ。
「自宅がもうすぐというところまで来たときでした。走る俺の目に、家から出てくる人影が見えたんです」
「……もしかして、お母様?」
穏の首は横に振れる。
「親父でした。でも、親父は俺を見つけると、手を振りながらこう叫んだんです。『さっきの猫、連れてこい! 飼っていいぞ!』って」
「あぁ……お父様がお母様にかけ合ってくださったのね!」
アリシアの顔が、ぱぁっ、と喜びの色に染まって、穏からもにこりと同意の笑みがもれる。
「俺は、こんどは今まで振り切ろうとしていた子猫の方にとって返しました。子猫も迷わずにずっと追いかけてきていたから、俺が逆走すれば追いつくのもあっという間です」
でも……。
不意に、穏の声がいちだんと暗く沈んだ。
これまでの穏の話は、耳をかたむけていたアリシアには――彼がふたたび子猫を抱え上げて――といったエピローグしか浮かんでこない、そんな幸せなストーリーだった。けれども、どこをどう聞いても嬉しさあふれるシチュエーションのはずなのに、彼の声のトーンは明らかに落ちたのである。そうして暗く落ち込む彼の声は、少なくとも、これから先に続く話がハッピーなものでないことを予感させるのに十分だった。
飼ってもいいって許可をもらえたはずなのに、どうしてこんなに暗い顔になってしまうの? ……もしかして、さっき穏さんが言っていた『きっかけ』になったことがこのあとに起きてしまうの? でも……子猫を抱き上げるのはもうすぐじゃない! それなのに、表情はこんなに暗く……。いったいなにがあったというの……!?
そんな風に考えをめぐらせれば、アリシアには、黒い水面に視線を落とす穏の横顔が、ここ数日の暗く沈んだ灯里の表情にもダブって見えてきて――
……ぎゅっ……。
アリシアは、思わず、握った彼の手に今まで以上の力を強く込めていた。
そして、そんな力のこもる彼女の手に触発されたのか、
「聞いてください、アリシアさん」
なにか思い切った風に口調を変えた穏が、すっと顔を上げ、アリシアの青い瞳をじっと見つめ込んだのである。
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