青い瞳のレクイエム#09.4『その 青が映すものは…(10)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。
主人公はオリジナルキャラクターですので、その点をご留意くださいませ。
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カチ……カチ……カチ……。
時を刻む無機質な機械の音に、コクリ、と、のどが鳴る有機的な音がまざりあう。
トレニアは、くちびるから離したティーカップを両手で抱え、どこか遠くを見るようなまなざしで、静かに、手もとの水面を見つめている。
アリシアも、なにを言うでもなく静かに彼女を見やり、カップに手をのばして、ゆっくりと、口へ運んだ。そして、そのカップの端に彼女のくちびるが触れようとしたとき……。
「アリシアさんは、誰もいないところをじっと見つめている猫……見たことありませんか?」
カップを持つアリシアの手がピタリととまる。
(トレニアちゃんも猫の話……!?)
そう驚いてアリシアは眉を上げるのだが、確かに、穏にしてもトレニアにしても、彼の左目のことが話の本題であるはずなのに、最初に始めるのはどういうわけだか猫の話である。
(きっと、猫の話をするのには、訳があるからなんだろうけど……)
けれども、いまだにきちんとした説明をされないままのアリシアには訳が分からない。
「……え、ええ。見たことはあるし、お友達ともそういう話をしたことがあるわ。……そういえば、灯里ちゃんもあの夜は、アリア社長が誰もいない階段の方を見ていたと言っていたわね」
そこまで言ったところで、なにかを思いついたように、ピンク色のくちびるが「あっ」とひらいた。
「……もしかして、穏さんが拾った猫がよくそんなことをしていたの?」
しかし、トレニアの首は横に振れる。
そして……。
「穏さんです」
「……えっ?」
「……誰もいない空間をじっと見つめるのは、猫もですけど、穏さんもなんですよ」
客間がしんと静まりかえる――
「ち、ちょっと待って、トレニアちゃん! 話は穏さんの青い目のことよね? それって、もとは両目とも黒かった穏さんの目が、どうして片目だけ青くなったかって、そういう話なんじゃないの!?」
半ば立ち上がって身を乗り出すアリシアに、トレニアはカップに向けていた顔を少しだけ上向かせる。
「……穏さんが最終的に話したいのは、たぶんそういうことじゃないと思います」
そう言うと、トレニアは、アリシアへと上げた視線をふたたびお茶の波間へと泳がせたのだった。
妙な重さをまとう静けさに包まれたまま、二人はカチカチと鳴り続ける音をどれほど聞いていただろうか。
「アリシアさん」
「……んっ?」
なにやら考え込むように視線をティーカップへと落としていたアリシアが、トレニアに呼ばれて、はっとなったようにその顔を上げた。
「アリシアさんは……なにが見えていると思いますか?」
「……えっ?」
「誰もいない場所をじっと見つめる猫には、なにが見えていると思いますか……?」
なにって……。アリシアは、少しだけうつむき加減に目を落とすと、ティーカップを小さく回して揺らした。そして、回るお茶の波が静まると、
「全然見えない私には見当もつかないけれど……」
「はい」
「……幽霊……でも見えているのかしら……。友達とはそんな風な話をしたわね」
「……幽霊、ですか」
アリシアには困ったような笑みが浮かんでいて、トレニアも彼女にあわせるように笑ってみせた。
「穏さんは、言ってました?」
「なにをかしら」
「拾った猫の目のことです」
「ううん、目のことは聞いてないわ」
ふたたび、トレニアが、両手で握ったカップを口へと運び、一口、コクリとのどに乳白色の液体を通した。
「穏さんが拾った子猫の目、なにか問題があったの?」
そっと、アリシアがトレニアの顔を覗き込む。
「私もそのころから穏さんを知っているわけではないので、あくまで聞いた話でしかないんですが……」
「ええ、聞かせて、トレニアちゃん」
トレニアの頭が縦に小さく振れた。
「穏さんがいまも飼っているその拾った猫は、穏さんが見つけたときは、両目とも青かったそうですよ」
「……青かっ…た……?」
ふと、過去形になっていた言葉のはしが気になって、アリシアの首がクキリと折れる。そんな彼女の反応に応えるように、トレニアは小さくうなづいてみせた。
「青かったんです。でも、両目とも青かったその猫の目、いまは……」
「……まさか……」
そこまで話すと、トレニアはパジャマの胸ポケットに指を滑り込ませ――
「これを見てくださった方が話が早いと思います」
きっと、話題づくり用に持ってきていたうちの一枚なのだろう。少し傷んだ写真を、すっと、アリシアの前に差し出したのである。
おもむろに、白い指が写真を取る。
よく見えるようにゆっくりと顔へ近づけ、眼鏡の奥の青い瞳で観察するようにその写真を見つめ込む。それから少しの間もなく――
「……こ、これ……!」
アリシアは、眉を上げ、目は大きく見開いて、驚愕の声を上げたのである!
その写真には、いまよりほんの少しだけ幼い雰囲気ではあるが、穏と思われる青年が一匹の猫を抱きかかえて写っていて……。
「信じられないわ……」
アリシアは自分の目を疑っていた。
そこに写っている穏と一匹の猫。穏の方は、もちろん、いまと同じように虹彩異色の黒い右目と青い左目をしているのだが……。
「猫の目が……穏さんと鏡写しみたい……」
そう、穏が抱える猫の目は、確かに右目は青いのだが、対になる左目は、まるで穏の右目のそれのように黒い輝きを放っているではないか!
写真の穏は、今日着ていた黒いスーツと違い、純白に金の刺繍が施された神聖さあふれる祭服姿だ。その胸には、きっと拾って育てられたあの子猫に違いない、やわらかそうな純白の毛に覆われた気品あふれる猫が抱かれていて、穏と二人、こちらに向かってよそ行きのまなざしを送っている。白地に金のアクセントが利いた服をまとい、猫を抱きかかえる彼の姿は、さながら冬服を着たウンディーネのようでもあって、ただこの写真を見せられただけなら「あぁ、きっとウンディーネに男性がいればこういう感じなのかしらね」と、そんな感想で盛り上がるところなのだが……。
「まるで、穏さんとその猫、二人して目を取り替えっこしたみたいじゃないですか?」
少しだけおかしそうな笑いを含ませたトレニアのそんな言葉に、アリシアは、写真の一人と一匹に目を奪われたまま、小さくうなづいて返す。
「そうね……本当にそう……」
写真の二人が放つ雰囲気は、まさに灯里の好きな言葉の“摩訶不思議”そのもので、アリシアは、つぶやきまじりに感嘆のため息をもらしたのだった。
「アリシアさん」
神妙なトレニアの声が、写真に釘付けになっていたアリシアの視線をふたたび上げさせた。
「私にはなんの証明もできないので、これも『もしかしたら』の話でしかないんですけど……」
「……ええ」
トレニアは、まるで間を計るかのようにアリシアから視線をはずして、もう一度、ゆっくりとティーカップを口へと運ぶ。……けれども、お茶はいつの間にかに飲みきっていて、くちびるを添えただけ、カップをゆっくりと白いソーサーに戻した。
うっすらと乳白色の残るカップの底をじっと見つめるエメラルドの瞳が、二度ほど瞬く。そして、言葉を待つアリシアが見つめる中、心ここにあらずといった面持ちのトレニアが、おもむろにそのくちびるをひらいて――
「……猫には、私たちには見えない『なにか』が見えるんだとしたら……。そんな猫と穏さんの目は、なにかのきっかけで入れ替わっているんだとしたら……。そして、あの白猫の青い左目をもらった穏さんには、猫たちに見える、私やアリシアさんには見えない『なにか』の姿が見えるんだとしたら……」
話の終わりを告げるように、トレニアは椅子を押してゆっくりと立ち上がる。
「アリア社長が指し示したという灯里の見た影のこと……きっと、穏さんにも見えるんだと思います」
そこまで言ったトレニアの首が小さく横に振れた。
「いえ、『きっと』じゃない。私は、あの人には絶対見えると思ってます。これまでにも、そう思わせることがなんどもあったから」
アリシアも、彼女に促されるようにしてその腰を上げる。
「だから、灯里の身に起きた今回のことが、灯里や猫にしか分からないような『なにか』の仕業なのだとしたら……必ず、穏さんがより良いように計らってくれます! 影を見たという灯里にも、その灯里のことを心配しているアリシアさんにも、そして、灯里のところにやってきた『影』にとってもより良くなるように……」
褐色肌の少女は、アリシアの青い目を凛としたまなざしで見据え、そう、話の終わりを締めくくったのだった。
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