穏は、仕切りなおすように寝返りをうち、きょとんとした目で答えを待っているアリシアへと向かい合った。そして、その虹彩異色の両の瞳で彼女をじっと見据えて、重々しい口調で話し始めたのである。 「率直に言って……アリシアさんが、灯里さんや俺と同じものを見られるようになるかどうかは……俺にも分かりません」 時間が凍りついたように、しんとした静寂が二人を包み込む―― その張り詰めた緊張を解かすように、 「……そう……」 アリシアは、残念そうなため息まじりに、しかし、分かったと答えるように笑顔を返した。 「……アリシアさんの気持ちも分かるんです。灯里さんのことがどんなに好きで、どんなに大切に思っているか……。それくらいは、二人に会ったばかりの俺だって想像つきますし、そんな大切な相手ならなおさら、同じ体験を共有しあえたら――って思うのも当然ですよ」 「……穏さんも同じ経験を?」 そう聞き返したアリシアは、ぶしつけな質問をしてしまったと思わず口を手で覆ったのだが、 「まぁ……人並みに」 気を悪くするでもなく、恥ずかしげに頬を掻いた穏にホッとしたようで、ささやかな告白をしてくれた青年に小さな笑みで返礼した。 「でもですね……」 口もとを緩めていたアリシアだが、続けられた一言にハッと息をのんだ。 穏は続ける。 「たとえ、アリシアさんが、灯里さんと同じ『なにか』を見られるようになったとしても、それが本当にいいことなのか……それがアリシアさんにとってより良い幸せをもたらすことなのか……自分自身のこれまでを振り返ると、返答には悩んでしまいます。人に見えないものが見えてしまうって、それくらい大変なことだと思うんです。……少なくとも、俺は結構大変でしたから」
沈黙――
「……でっ!」 重苦しくなった空気をパッと引き裂く明るい掛け声が続いて、言葉を詰まらせていたアリシアは驚いたように眉を上げた。 「そんな風に大変だった俺が、たいしてグレもせず、今こうして明るい好青年やれてるのはどうしてだと思いますか?」 彼の台詞のどこかがおかしかったのか、アリシアが「ふふっ」と噴き出せば、穏はしめたとばかりに、ニヤリ―― 「そこ、笑うところじゃないですよ?」 「あらあら、うふふ! ごめんなさい」 と、薄暗かった客間に控え目な笑い声が重なり合い、穏の語り口のせいで輪をかけて暗く感じられたこの部屋も、少しばかり明るくなったようだった。 笑いに一息ついて、アリシアが続けた。 「……トレニアちゃんがいてくれたから、かしら」 「ええ。アイツもだし……それに、目の色が右と左で違おうが、おかしな幽霊話を聞かされようが……なんにしたって『普通』に付き合ってくれる人はいてくれたんです。だから、俺は今もこうしていられる……。でも、もし周りに支えてくれる人が誰もいなかったとしたら俺はどうしていたか……。自分が選んだかもしれない『道』のことを考えると、ほんと……ゾッとしますよ」
ゴクリ―― アリシアのノドが低く鳴いた。
「まぁ……今は昔の話です」 「……そうね、私もその方がいいわ」 穏はニコリと微笑んでみせ、そしてゆっくりと、その笑みを暗い天井に向かい合わせた。
「……ねぇ、アリシアさん」 「……ええ」 「灯里さんは、どうして不思議な体験をできると思いますか?」 考え込むように、アリシアは小さく唸る。 「……どうしてかしら……。さっきも言ったみたいに、私は、灯里ちゃんがすごく純粋で優しいからだと思っていたけれど……」 穏も、相槌を打つように、ノドを唸らせて返した。 「それもあると思います。だって、見たものが――たとえば幽霊だとするなら、幽霊のオオモトは何かって、俺やアリシアさんやみんなと同じ人間なわけです。だから当然感情もありますし、身体を失ってまで人と話そうとするんですから、そりゃあ自分にとって話のしやすそうな……思いの伝えやすそうな人を選ぶと思いますよ」 俺だったらトレニアじゃなくて灯里さんを選ぶかも。そう続けて、穏がアリシアの笑いを誘った。 「……でも」 笑い声が収まるのを見計らったようなタイミングで続いた穏の言葉に、アリシアの視線も再び彼に流れる。 「灯里さんの不思議現象を呼び寄せやすい体質は、灯里さんが優しいだとか純粋だとか……そういう理由からだけじゃないとも俺は思ってるんです」 「それは、どういうこと?」 「だって、よく考えてみてください。……もしもですよ、灯里さんといつも一緒にいる人が、『お狐さまに出会った』みたいな、そんな不思議な話を一切信じない人だったとしたら……。あまつさえ、多少の理解があるようなそぶりすら見せることもなく、白い目で見て変人扱いしたり、気持ち悪いと言い捨てたり……そんな風にしていびるような人だったなら……。そしてそんな人が、毎日顔を突き合せるのを避けて通れない人だったとしたら……。そんな環境で過ごしていれば、いくら灯里さんの根が優しくても、今のようにはしていられないだろうし……」 穏は、ひとつ、小さな呼吸をおいた。 「……今まで自然に受け入れていたはずの不思議な『なにか』を、もう二度と見たくないって思い始めるだけじゃなく、見えてしまう自分や、そのことで続くイジメの毎日を受け入れられなくなって……もしかしたら、俺が選ばなかった『最期』の道を選ぶことになったかもしれませんよ」 でも……! アリシアの絶句を見越したかのように、穏の明るい言葉がすぐに続く。 「灯里さんの場合は違った。灯里さんが巡り合った先輩(ひと)は、灯里さんのことを優しく受け止めて……それだけじゃなく、同じ体験をして……そして同じ話題で盛り上がれたら……! って、そんな風にまで言ってくれるんですよ!?」 「えっ…と……」 穏の顔が、言葉を探しているらしいアリシアにゆっくりと傾いた。 彼と視線を重ね合ったアリシアは、どういう訳か……自分を見つめ返すその左目に、晴れた夏のネオ・アドリア海が放つような、そんな深い煌きを感じていた。 「そうですよ、アリシアさん。灯里さんがお狐さまに出会えたのも、今回の影のことも……灯里さんが不思議な体験をできているのには――アリシアさんという素敵な先輩がそばにいてくれる――っていう、確かでかけがえのない心の土台があるからだと、俺は思うんです」 「わ…たし……?」 「そうです、アリシアさんですよ! あなたが心の糧となり支えとなっているからこそ、灯里さんはあんなに純真無垢な優しい女の子でいられるんだし、だからこその『不思議な現象を呼び寄せやすい体質』とも言えるかもしれませんね」 「……穏さん……」 「それに……」 穏の視線がアリシアを離れ、天井へと流れた。 「それに、アリシアさんは一番大事なことを忘れてる」 「大事なこと?」 首をかしげるアリシアに、穏は感慨深げに口を開いた。 「……純粋で優しいから、俺や灯里さんが見えるのだとするなら、トレニアなんか俺の何倍も見えていいはずだし、ここ最近を心配してくれていたという灯里さんの友達だって、十分に見えていいはずです。もちろん――」 アリシアの視界がじんわりとゆがむ。そして、その視界をもとに戻そうと、二度三度と、アリシアは瞬きをした。 「……でも、アリシアさんにも、灯里さんの友達にも、灯里さんが見たというものは見えなかった。だからといって、灯里さんの勘違いだったともいえないし、見えなかった方が異常だともいえない。感じるとか感じないとか、誰には見えて誰には見えないとか……エクソシストなんということをやってる俺にだってどういう基準があるのか、あるいは基準なんてないのかも、まったく分からないことなんですよ」 「ええ……」 「でも、これだけは心に留めておいてほしいです」 アリシアは、じっと、続きの言葉を待った。 「……アリシアさんが、今のように灯里さんの背中を優しく支える素敵な先輩であり続けるなら、きっと――そのとき――は訪れます」 だって……。 穏のまぶたがすっと落ちる。
「だってアリシアさんは、俺なんかよりずっと純粋で……すごく優しい人なんですから」
しばらくの沈黙のあと、衣擦れの音と共にアリシアの手が布団から伸びて、淡い常夜灯に煌いていた彼女の目元を静かに覆った。 「……あらあら……うふふ!」 そんなアリシアに何か気まずいものでも感じたのか、穏はもぞもぞと体を動かして彼女に背を向けた。 「ねぇ、穏さん」 「……なんですか?」 背を向けた穏の耳に、別の寝返りの音が聞こえてくる。背後から耳に届く呼吸のひとつひとつが鮮明になった。 「あらためて、お願いさせてください」 「……はい」
「もしも『そのとき』が訪れたなら……私の背中、支えていてくださいますか……?」
ゆっくりと寝返りをうち、穏がアリシアに向き直る。 正面で自分を見つめている端整な顔を一瞥した彼は、ひとつ困ったような微笑みを浮かべると、彼女の顔にそっと手を伸ばして、常夜灯に煌いていた頬の一筋を優しくぬぐった。 「……俺、そのために来てますから。父と子と聖霊の御名において、約束します……!」 その言葉に、頬をくすぐる彼の指先の感触が一段と心地よさを増す。アリシアは、言いようも知れない胸の高鳴りを感じてやまなかった。 「ありがとう……。穏さんがついていてくださるなら、いつ『そのとき』が来ても安心ね……!」
その後、徹夜を決め込んだ穏にアリシアも一緒すると言い、結局のところ、二人は眠ることなく語り明かして笑顔のままに朝日を浴びた。 そして、平穏のうちに終えることとなったこの夜に、まったく違う別の場所で不思議な出来事が起こっていたのであるが、そのことをARIAカンパニーの面々が知らされるのは、太陽も天高く昇りつめようかという頃のことである。
|