――青い瞳のレクイエム――
第1章・第1節
『喪服なスーツの迷い人(3)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。 こちらの作品には元作品にいないキャラクターが登場します。 その点、どうぞご留意くださいませ。 |
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トレニアは、今日一番の大きな溜息を「ふぅーー…」と吐き出して、肩を覆う布地にまとわりついた金の髪を、気でも落ち着けるように両手で払い整えた。 「……すみません、声を荒げてしまって。私だって、穏さんに任せていた部分もあるのに……」 どうやら、今の溜息が多少なりともガス抜きの役目を果たしたようである。表情のはしにはまだ不機嫌さが残っていたが、天を衝かんばかりだった彼女の怒気はだいぶ落ち着いたようだった。 ところが、今度は大声を張り上げてしまった自分に、逆にばつの悪さを感じ始めたようで、困ったように口を『へ』の字に曲げると、人差し指で頬をポリポリと掻き始めた。この頬を掻くしぐさがまた目の前の青年のそれにそっくりで、こういったところも、親代わりのシスター達に「血のつながった――」うんぬんと言わしめる一因となっているのである。 そうしているうちに肺の空気がさっぱり入れ替わる程度の時間が流れて、その“仲の良い兄妹”の妹にあたる方が、ぐっと踏み込んでいた足をすっと引いた。すると、詰め寄られていた兄にあたる方も、ほっと胸をなで下ろしたように、こわ張っていた表情をやんわりと緩ませた。 「……いや、俺もちょっとムキになってたよ。ほら、俺だってそんなに方向音痴ってわけじゃないし、あんな謎解きみたいなキーワードを出されたからには、やっぱり自力でたどり着かなきゃ! ってさ」 「穏さんが方向音痴じゃないのくらい、私だって知ってますよ。でも、手紙に書いてあった場所って、今まで一度も行ったことがない所じゃないですか……。そんな見ず知らずの目的地にですよ、地図もなーんにもナシ、おまけに住所以外に頼れるのがあんな適当なキーワードだけ! しかも、誰にも道を聞かないだなんて……。そもそも、あのキーワードだかなんだか分からない添え書きを理由なく信頼した上にそれを地図代わりにして行くべき場所にたどり着けるというのと、穏さんが方向音痴かどうかということは、あんまり……というかぜんぜん関係ないんじゃないですか……?」 と、敬語であることを除けば、妹であるはずのトレニアの方が弟でも諭すような口調である。 「あはは……まあ、そうかも……」 「『あはは』じゃないですよ……。幸い、だいぶ余裕を持って出ましたから、まだ約束の時間には大丈夫と思いますけど……でも!」 穏やかだった少女の眉間にまたもシワが寄って……穏はまたもアドレナリンが大量分泌するのを感じた。 「さっきの鐘の音……あれ、四時の鐘ですよね……。途中で休憩してるとはいっても、もう三時間は歩いてますよ……? 正直言って私は疲れました……」 「ごめんね……疲れてるならトレニアの荷物、持ってあげるよ」 「いいです! それじゃ私が『荷物が重い』ってダダをこねてるみたいじゃないですか!」 「あぁごめん……そんなつもりじゃないから。だからもう機嫌をなおして……ねっ?」 穏は、トレニアの気分を少しでも良くしようと話をしたつもりだったのだが、どうにもうまくいかない。むしろ、直りかけていた彼女の機嫌を余計に損ねてしまったようで、プイッとそっぽを向いたトレニアに苦笑いを浮かべつつ、彼は困ったように人差し指で頬を掻いたのだった。
話はこれまで! ――そう言わんばかりに足もとの荷物を勢いよく持ち上げた連れの少女に気圧(けお)されるようにして、穏は再び足を先へと踏み出し始めた。 当然のことだが、たどり着くべき目的地があってのこの出張旅行である。それは間違いのない事実だったのであるが……。 穏は、上着の胸もとに片手を突っ込む。そして、内ポケットから引っ張り出したありふれた洋式封筒に、なにやら難しい顔で視線を落とした。 というのも、彼の手に握られたその封筒には、届くべき相手のいる郵便物なら当然書いてあるはずの宛名や差出人のことが何ひとつとして書かれておらず、切手や消印といった、投函されて郵便業者を通った正規の郵便物なら当然付いているだろう付属物の類も、全くもって何もないのである。 しかし、まっさらなのっぺらぼうかと思いきや、そんな純白の状態だからこそ目立つ特徴がひとつだけあった。 (ったく……「私は猫です」とでも言いたいのか?) 彼が見つめる封筒の端には、猫の足型のような印が、まるで落款(らっかん)のようにペタリと押されているのである。 このような謎の封筒が教会の正面玄関に届けられていたのが、まさに今日の朝のこと。それを見つけた孤児院の子供が「猫さんからのお手紙だ!」などと大はしゃぎしながらシスターのところに持っていき、多少の訝しさを感じながらもシスターが封を切ってみれば、中の便箋には「にゃーにゃー」などと猫語が書かれているわけもなく、依頼を示すらしい『恐怖に夜も眠れない少女がいる』との一言がペンを持つ猫の姿などこれっぽっちも連想させない達筆で書かれており、その“少女”がいるのであろう場所の名前に住所、電話番号に加えて、まるで少女を“宝”にでも見立てたかのような、暗号らしき言葉が添えられていたのであった。
――少女と共に影を追え――
そう……今まさに二人の歩みを導いている“キーワード”というのが、この短い短い一文だった。 迷って当然だった。 確かに、穏自身は、地図を見つつ歩いてなお神隠しに遭ってしまうような超絶方向音痴というわけではないし、一度通った道なら、二度目はなんとなくでも目的地に通えるくらいのカンくらいは持ち合わせた人間である。しかし、こればかりはトレニアの言うとおりで、今まで行ったこともない場所に、地図も見ず、だからといって名前や住所から人に尋ねるということもせず、十文字にも満たない抽象的なキーワードだけを頼りに自力でたどり着こうというのが、どだい無理な話なのであった……。
はき古した靴で鳴る石畳の音が響く中、穏はふと思った。 (目的地にたどり着けないのもトレニアが不機嫌になるのも、そもそも地図すら入れといてくれないこの差出人がいけないんじゃないか……) そう思って振り返った彼の目に、従順に三歩後ろをついてくるトレニアの、しかし「……なんですか!?」と再び噛みつかんばかりの仏頂面が飛び込んできて、彼は何か別の考えが浮かんだようにふっと口をつぐんだ。 たとえその愚痴を言ったとしても、彼女との短くない付き合いのおかげで、返ってくる言葉がありありと想像できてしまったのだ。十中八九、 「なんで今朝電話した時に場所のことくらい訊かなかったんですか」 とか……、 「慣れない所なんだから誰かに道を訊こうって最初に言ったじゃないですか!」 とか……、しまいには、 「あぁ……穏さんなんかに頼らずに、さっさとタウン誌でも探すんでした」 と……こんな感じでご不興を買うのは火を見るよりも明らかで、しかも、彼自身も内心では今さらながらにそう思ったりしていたものだから、穏は彼女に気づかれないように苦笑いするだけにし、道に迷いトレニアに怒られるこの現状を少しだけ誰かのせいにしたかった淡い思いはノドの奥へとのみ込んで、そして不思議な猫さまからいただいた大切な封筒を丁重にもとの内ポケットへとしまったのだった。 どうにも笑顔のない不機嫌そうな少女に「なんでもない」と笑ってみせ、再び進む先へと向き直った穏は、足を一歩一歩踏み出しながら、大きな溜息まじりの愚痴をひとつ心の中でもらした。 (……あーあ! 舟の通りそうな水路を探して、乗ってる人に場所を尋ねよう。もしかしたら乗っけてもらえるかもしれないし) そう方針転換してみれば、今までに渡った水路の数だけでなく、その水路で何艘の舟を尻目にしてこの今に至るのかというこれまでの残念なプロセスのことも否応なしに浮かんでくる。そして、負の思考はさらにスパイラルし、キーワードの“少女”を『トレニア』と、“影を追え”は『自分たちの影を追って歩け』に違いないと勝手に思い込んで、少なくとも彼としては目的地に着けるよう頑張っていたはずのこの二~三時間すら恐ろしく無駄だったように感じられてきてしまい……荷物を持つ手や踏み出す足が異様に重たくなった彼は、疲れ色に染まりきった大きなため息を細長い空に向けて吐き出していた。 |
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