――青い瞳のレクイエム――
第1章・第1節
『喪服なスーツの迷い人(5)』
ARIAの二次創作小説(続き物)です。 こちらの作品には元作品にいないキャラクターが登場します。 その点、どうぞご留意くださいませ。 |
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穏が二人分の荷物を抱えて橋を下りる間にも、眼下の水路を何艘かのゴンドラがゆっくりと近づいてきては通り過ぎていった。 トレニアはといえば、すでに白服の少女の隣で一緒になってしゃがみ込み、アレやコレやと話し始めていた。だから、穏の方も、しばらくはトレニアを待つしかないかと観念して、荷物を小脇に橋のたもとで腰を下ろしていた……のだが、少女の背中をさすりさすり二言三言と声をかけた様子のトレニアはそのまま立ち上がると、穏の予想に反して早く、彼のもとへと駆け戻ってきたのだった。 「(どうだった?)」 少しばかり疑問に感じながらも、穏が小声で問いかける。 トレニアは頷いて返しつつ彼の隣へ腰をかがめた。 「(あの子、見ちゃったそうですよ)」 「(ん、何を?)」 「(穏さんが専門にしているやつですよ)」 それを聞いた穏は、驚いたように眉を上げた。 おせっかい焼きのトレニアがなにかしら面倒事を拾うことはよくあることだった。……しかし、その面倒事の内容はいわゆる“普通”のものがほとんどで、エクソシストにおあつらえ向きのような話を拾ってくることなど、これまでを振り返っても珍しいことだったのである。 「(見たって、あの子もか……)」 人怖じしがちなエクソシストの口から小さな溜息がもれる。 実のところ、穏は――きっと財布かアクセサリーかそういった何かを水路に落っことして――程度に思っていたのだ。それなら、そのアクセか何かは回収不能という最悪の自体だったとしても、トレニアがなんとか慰めてより良く収めてくれるに違いないわけで……。 しかし、彼におあつらえ向きの内容という事となると、いささか状況は変わってしまう。いくらトレニアが人付き合いの上手な助手だとしても、彼女を温かく見守っていれば万事解決! ……ということにはならなくなるのである。 「(やっぱり穏さんはもうそういう境遇の人になっちゃってますね。まるで行く先々で事件に巻き込まれる名探偵みたいです)」 そうささやくトレニアを横目に、穏は腰をゆっくりと上げた。 「(……やめてくれ、そんなの嬉しくないし。それに、おまえが気づきさえしなければこうして会うこともなかっただろ)」 「(そこも含めて“そういう境遇”ですよ。ここまでの道を選んだのは穏さんですし。それに、穏さんだってなんだかんだ言いながら人助けがキライじゃないの、私知ってるつもりですよ)」 唐突に褒められた気がして穏の目がまるくなる。 そして、まばたきを二度する間もなく、彼はまるくしていたその目を明後日の方へと流してポリポリ頬を掻き始めた。 そんな彼の内心を知ってか知らずか、トレニアは口もとでおかしそうに笑い、再び少女の所へと駆けてゆく。およいでいた視線で彼女の姿を追いかけた穏は、相変わらず本気なのかただのヨイショなのか分からない言葉を投げかけてきたパートナーの背中にめがけて、「はぁ……」と大きなため息を投げ返していた。
トレニアは、あらためて少女の隣に座り、そんな彼女に続いて、穏も少女を挟むようにして石造りの階段に腰を下ろした。 「ねぇ、私はトレニアっていうの。いま向こうに座ったのが穏さん」 そう少女に声をかけたトレニアが、チラリと穏に視線を送る。 穏には、それが何を意味する目配せかすぐに分かったらしい。トレニアは、彼がまぶたで頷いたのを確認すると、同じようにまぶたで頷き返して、また少女に視線を落とした。 「……穏さんはね、歳はあなたも私も『兄さん』って呼べるくらいだけど、教会で……いろんな人の相談を聞いてるんだよ。よかったら、さっき少しだけ話してくれたこと、穏さんにも話してみない?」 困っている子供を見るととかく突っ走りがちでありながら今のように自分にすらちゃんと気を回してくれるトレニアには、穏はただただ感心の念が尽きないのであるが、なによりこの少女相手に“エクソシスト”という単語を使わなかった事については、もはや内心驚嘆の溜息をもらさざるをえなかった。 エクソシストという名前には、悪魔だとか悪霊だとか、そういった心証のよくない強烈なイメージがある。だからこそ、彼のもとにその類のモノを祓ってほしいという相談が寄せられるわけなのだが、しかし、相談を持ちかけながら相談者自身の思考が悪魔や悪霊という具体的なイメージにまでたどり着いているかといえば、そこまで考えが回っている方が稀であり、そこに『悪魔』や『悪霊』などという単語を連想させる言葉をわざわざ聞かせて、不用意に怖がらせる必要などどこにもない。そもそも、この少女については、相談事の原因どころかその詳細さえまだなのである。トレニアの言葉選びは、穏よりも年下ながら、そのあたりをしっかりと意識した慎重なものなのであった。 トレニアの呼びかけを受け、うつむき加減だった少女が、ゆっくりと顔を上げる。そして、トレニアの方を見て、ズズッと鼻を鳴らした。 トレニアは安心させるようにニコリと微笑んでみせると、それを見た少女は、穏の方にゆっくりと首を回した。穏は、まるで捨て猫がダンボールの中から投げかけてくるような――すがるようなまなざしを投げかけてくる少女に、慣れない微笑みをできる限り引きつらないように作って、大きめに頷いてみせた。 少女はもう一度、ズズズッと鼻を鳴らす。そして、さざ波に揺れる水面のその向こうを見つめながら、ゆっくりと、自分の身に起きた出来事を話し始めたのだった。
「一週間か十日くらい前だったのかな……ほんとにその日もいつもと変わらない夜でした。午前中は友達とゴンドラの練習をして、一緒においしいランチを食べて、午後も友達と話したりしながら楽しく練習して、そして、今みたいに夕方になったら会社に帰って……。そしたら、会社の先輩と一緒に夕飯を食べて、一日の出来事を話したりして……いつもと変わらない、ほんとに楽しい一日だったんです」 並んで座る三人のそばを、カップルか夫婦か、誰かが楽しげに話しながら通り過ぎ、路地の奥へと消えていった。 「……でも、その日の夜のことでした。私は会社の建物に間借りしているので、自宅に帰る先輩を見送って、ひとりでお風呂に入って、しばらくゆっくりしてから、いつものように寝たんですけど……」 「……そのあとに何かあったのね」 トレニアの言葉を耳に、少女は小さく頷いた。 「横になって、何時ごろだったのかな……ふと、夜中に目が覚めたんです。窓は閉めていたけど、なんだか寒く感じちゃって……。でも、一緒だった猫を抱っこして、とてもあったかかったんです! でも……でも……」 少女は言葉を詰まらせ、ぎゅっと目を閉じた。 少女がこれから話そうと思い返した記憶は、彼女にとっては心底怖かった出来事に違いない。いくら穏が人怖じしがちな青年だといっても、その程度はたやすく察することができた。それくらいに、可愛らしかった少女の顔は、今はすぐにも泣き出さんばかりにゆがんでいたのである。 「……思い出すのは怖いだろうけど、今は俺もトレニアもいるから、安心して。ゆっくりでいいから、頑張って話してみて……」 今度は、穏が少女に声をかけた。じっと膝を抱えて、もう思い出したくないとばかりに目を閉じている少女に、穏はより安心させられそうな声色をできる限り考えて、そっと話の続きを促した。 少女はゆっくりとまぶたを上げて、水面の穏にコクリと頷いて返した。 「……抱いてた猫が、部屋の隅の方をじっと見てたんです。だから、私も気になって……見てみたら……」 ゴクリ……。 自分のノドの音に驚いたように、少女はブルッと身震いする。その肩をトレニアが励ますようにそっと抱きしめた。
「(いたんです……)」
「えっ?」 少女の声は小さかった。 ノドから精一杯に押し出された声はとても小さかった。 だから、穏は思わず聞き返していた。……しかし、聞き返した彼の一言が呼び水になったかのように、まるで決壊したダムような勢いで、
「部屋の隅が急に明るくなって、そしたらそこに居たんです! 私のことを見てるような黒い人影が……!」
……叫んだあとの少女は、抱いた膝に額を押しつけて、それ以上語ろうとはしなかった。 トレニアは、少女の肩にそっと手をかけ無言でギュッと抱き寄せる。少女はトレニアの腕に引き寄せられるまま、崩れるようにして彼女の胸に顔をうずめ、ひくひくと肩を揺らしていた。 |
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